どうも、「やまちゃんこ鍋」の中の人、やまちゃんこ鍋(@yamachan_konabe)です。
ブログ名と管理人が同じ名前で分かりづらいかもしれませんが、これでやっていきます。
と言うのも、このブログは管理人である僕、やまちゃんこ鍋が学んだり、感じたことを自由に綴る雑記ブログだからです。
言うなれば、このブログは僕であり、僕はこのブログなのです!(謎)
ちょっとついていけないという人は、この辺でブラウザバックしてもらうとして、僕のプロフィールを紹介していきます。
目次
とりあえず、簡単に自己紹介するよ
年齢:ミレニアル世代(1980〜2000年初頭生まれ)
出身:鹿児島県(現在は沖縄在住)
大学卒業後に地方公務員になりましたが、仕事がくだらなすぎて、自転車で福岡まで逃走。
その後、ニートやヒモなどの紆余曲折を経て、今はWebエンジニアでご飯を食べています。
あわよくば、ブログでご飯を食べたいなぁという下心があるので、応援してくれたら嬉しいです。
僕がブログを書く目的
僕がブログを書く目的については、別の記事にしているのでそちらをご覧ください。
もっと詳しく、自己紹介するよ
獰猛な幼少期
今は沖縄県に住んでいますが、出身は鹿児島県です。桜島で育ちました。
長渕剛が2004年8月21日にオールナイトライブを開催したことでも有名なところです。
え?あの火山がいつも噴火してる桜島に住んでいる人なんていんの?
それな!
実家があるので、今も時々は桜島に帰るのですが、故郷を離れた今は、
灰やべぇな…なんでコイツらこんなところに住んでるんや。
と切実に思います(笑)
しかも、僕はアトピー、アレルギー性鼻炎持ちという虚弱体質なので、実家に帰ると咳と鼻水が止まらなくなります。
実家に住んでいた時には、そこまでではなかったのですが、桜島の自然環境への適応能力が落ちたのか、今帰ると咳、鼻水ヤバイです…。
どうやら、もう二度と故郷には住めない体になってしまったようです。
幼少期の頃の性格は、親から聞く話によると獰猛だったようです。
可愛がってくれる近所のおばちゃん達に、
うるせぇー。クソババアァ!触んなあぁぁー!
と罵声を浴びせ攻撃していたみたい。
早すぎる若気の至り。
でも、そのおかげか今では、自分で言うのもなんですが、非常に温厚です。
陰キャへの転落
幼稚園に入ると一転して、大人しくなります。
もう、ずうっーーーーーーーーーーーーと
ゴジラとモスラ、キングギドラの絵を書いていました。
おっす!陰キャ転落。
思うに幼少期に獰猛だったのは、人見知りの裏返しだったのです。
で、幼稚園に入って、同年代の友人に囲まれて、どう接したら良いのか分からないから、ひたすら絵を書き続けるという。
そんな感じで陰キャライフを送っていました。
笑いは陰キャを救う
転機になったのは小3です。
このままの陰キャのポジションはヤバイぞ。
学校生活に支障をきたすぞと、身の危険を感じはじめました。
小1、小2の記憶全くないし、ここにきて、やっと自我が芽生えて、周囲の人間関係を意識しはじめたんだと思います。
じゃあ、どうやってリア充ヒエラルキーにはいるかを考えました。
この年頃で、チヤホヤされるヤツって大体、スポーツ万能じゃないですか?
でも、僕はサッカー、野球といった球技全般が苦手
その分野でリア充目指すのはマジ無理ゲーです。
んで、考えたのがお笑いです。
太宰治が道化に徹したように、運動音痴な松本人志がお笑いで天下を取ったように
笑いは陰キャを救うんです。
その時のクラスの中心にいたやつが、授業中に笑いを取っていたという影響が大きいですね。
それからは、友人が笑ってくれるような発言をできるように気を配りました。
これまで、陰キャだったのにそんなことできるはずがない?
運動音痴な僕が学校で一定のポジションを確立するには、
これしかなかったので、もう背水の陣ですよ。
笑いが取れなければ死しかない。
DEAD OR LAUGHな状況だったので、自然と陰キャは矯正されていきました。
そんな努力が報われて(?)、友人に新しく作るバレー部への入部を誘われました。
晴れて陽キャデビューです(笑)
球技苦手な僕は、入部するか迷いました。
でも、バレーボールは学校の休み時間にみんなやっている様子はなかったので、
これは全員、経験値ゼロからのスタートに違いない。
それなら、僕でも活躍するチャンスはあるだろうと思い入部することにしました。
まぁ、結果としては、あんまり活躍できませんでしたね(笑)
やっぱ他の球技で磨かれたスキルを持っている友人の方が上達がはやかったです。
最後は「天才てれびくんが見たいので、やめます。」という名言を残して、
バレー部を去りました。(2年くらいはやった)
大根を収穫する部活へ入部する中学時代
僕の中学校は部活への入部が強制でした。
入学して早々に部活動入部希望用紙が全員に配られ希望の部活を記入して提出しました。
田舎で全校生徒の数が少ないため、必然的に部活動の数も限られています。
当時、存在した部活はサッカー部、バレー部、野球部、陸上部、吹奏楽部。
球技が苦手な僕は、サッカー部、野球部は候補外。
多少経験のあるバレー部はなぜか女子バレーしか存在せず、男子は入部不可でした。
となると残るのは、陸上部か吹奏楽部です。
最終的には、仲の良い友人がほとんど陸上部に入部するということで、
僕も陸上部に入部することにしました。
この頃から主体性のなさの片鱗がみえています。
夏休みには、練習と称して桜島大根の収穫作業が発生する謎の部活でした。
でも、そこそこ部活内では良い扱いを受け、短距離や代表のリレーメンバーとして出場させてもらえました。(人数少ないし、そこまで本格的な部活じゃないこともあるけど)
暗黒の高校時代
そして、暗黒の高校時代がきます。
僕は高校受験を経て、公立の進学校に入学しました。
田舎の少人数の中学校から、鹿児島市内のマンモス校へと入学したため、
生徒の人数の多さに圧倒されました。
入学当初こそ、高校デビューを意気込んで、
イケてるヤツ感を醸そうとしましたが、ある時、気づいてしまったんです。
あれ、オレなんもできなくない?
ということに。
中学までは、勉強ができるヤツとして友人に認識されていたので、
スポーツで活躍できなくても、そこでアイデンティティを保っていました。
でも、高校はみんな受験で入学してきています。
となると、全員一定の学力が担保されていて、
僕の勉強ができるヤツというアイデンティティは入学と同時に消滅する訳です。
このことに気づいた瞬間、
僕は人生に絶望しました。(笑)(いや、マジで)
学校に行かなくなり不登校になります。
でも、そんな状況のなか、担任の先生が頻繁に自宅を訪ねてくれる罪悪感と
このままじゃいけないという思いがピークに達して、
なんとか学校へ復帰することができました。
あの時、学校をやめるという選択をせずに本当に良かったと思っています。
そこからは、応援団の副団長になったり、モテ期がきたりして、
少しだけ高校生活を満喫できました。
大学生こそ最強の肩書
通っていた高校は進学校だったので、大学進学を目指すことにします。
しかし、家庭が裕福じゃなかったので、国立大学のみの受験に絞りました。
当初は、地元の国立大学である鹿児島大学に進学するつもりでした。
しかし、センター試験本番で、
英語200点満点中70点というクソ点を叩き出したので、
鹿児島大学は諦めることに。
合格できそうな国立大学を探した結果、琉球大学と北見工業大学が候補にあがりました。
僕は当時、流行っていたドラマ「オレンジデイズ」のような学生生活を送るためだけに大学進学を決意したので、工業大学はないなと思い琉球大学を受験することにしました。
大学の二次試験本番前に、メガネが壊れるというハプニングを乗り越え、
なんとか合格
無事に大学に潜り込み、ダイビングサークルに入部したりして、人並みに大学生活を楽しみました。
働かなくても誰からも責められない。
本分は学業などと言いつつ、実際は麻雀、お酒などの自堕落な生活。
今でも、大学生こそ最強の肩書きだと思っています。(確信)
怠惰で幸福な日々の終焉
そんな怠惰で幸福な日々にも終わりはきます。
そう、ROAD OF THE DEADこと就活のはじまりです。
今まで、No思考で生きてきた人間に、急に身に余る自由が与えられます。
さぁ、お好きな職業を選びなさい。
いや、そんなんわからんけど。
苦悩、苦悩、苦悩。
逃げちゃ駄目だ。
逃げちゃ駄目だ。
逃げちゃ駄目だ。
・・・
・・
・
僕はその時、一筋の希望を見出しました。
そうだ、宝くじを買おう。
僕は、最後の希望を賭け3万円分のドリームジャンボ宝くじを購入しました。
これが当たれば、働かなくてもすむ、そう考えたのです。
そして、宝くじは見事に外れ、僕は無事に社会人になりました。
公僕に身を捧げる
僕の根底にほとばしる働きたくないという熱い思いが、
公務員という職業を選択させました。
みんながなりたがる人気職業なんだから良いに決まってるという幻想を抱き、
公務員になることにしたのです。
しかし、働きだしてその幻想は打ち破られました。
クソ、つまらん。
こんなモノに一生を捧げるのか俺は…。
僕は公務員時代に給与計算を担当していたので、上司がどれくらい給与をもらっているのか閲覧することができました。
それをみたら、もう先の人生がだいたい想像できてしまったんですね。
そして、こんな人生は望んでいないという思いが大きくなって、
気がついたら仕事をやめて、自転車で沖縄を飛び出して福岡まで逃走の旅に出ていました。(福岡を目指したのは彼女がいたから)
その後、彼女のもとでヒモになったり、実家でニートをしたりと紆余曲折を経て、Webエンジニアになりました。
今はWebエンジニアのお仕事でご飯を食べています。
最後に
もしかして、こんな無駄な記事を最後まで読んでくれたんですか?(笑)
マジ、狂気☆
でも、ありがとう。
ほんと、大好き。大好き。愛してる。
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